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Focus

Focus4th Album / 2009.3.4 / KZCD-1012

■POPの焦点

タワーレコードの邦楽売場に並べられた「Focus」の傍らには黒沢健一本人からの直筆メッセージが添えられており、そこには次のような言葉が記されている。

「7年かけてアルバム作りました。全11曲がPOPの焦点です」

2002年に発売された前作「NEW VOICES」は、7年間聴き続けられる傑作だった。尖鋭的なサウンドでありながら、「繰り返し」にも耐えうる名盤中の名盤であり、いまでも輝きは少しも落ちていない。初めて「NEW VOICES」を聴き終えたとき、僕は目に映る世界の色が一変しているような気がした。そしていまここに届けられた7年ぶりの4thソロアルバム「Focus」を聴き終えると、あの頃とはまた違う深い感動に包まれ、しばらくの間とりとめのない思いに耽ってしまった。僕は彼の音楽を"知っている"つもりだった。しかしここには全く新しい、それまで誰にも聴かれたことのない黒沢健一がいたのである。そのささやかで控えめな主張にもかかわらず、漠然とその背後に体系を感じさせるほどこの作品は大きく、また外側の世界への広がりに満ちている。黒沢健一は常にロックとポップスとの中間領域で傑出した自己を表現してきたミュージシャンであり、二つの方向の共存が醸し出す分裂的な緊迫感が彼の音楽性の幅とリアリティーを証明してきた。それゆえ彼の音楽について整然たる腑分け、整理をすることは不可能に近いのだが、「Focus」はこれまでにないほど徹底してポップス側へと振り切れている。帯に書かれた「POPの焦点」というコピーからも、その矜持を感じ取ることができるだろう。

そしていま僕の目の前には、ミュージシャン黒沢健一の軌跡を記した年表が置かれている。2000年を軸にして、9年という時間で彼のキャリアを折りたたむと、一方は1991年の「L」に、一方は2009年「Focus」に達する。つまり、L⇔Rのデビューと「Focus」が表と裏でぴったり重なりあうのだ。もちろんそれぞれの作品は似ていないし、直接の結びつきもない。ましてその符合を証明することなどできないし、そもそもこのような考察に意味などないのかもしれない。しかし、いま再び「全11曲がPOPの焦点です」と自ら語る天才の帰還に、僕はあの時代から吹く微風とともに美しきPOPの極点を見るのである。

■ジャックをつながない

「Focus」発売日前日、東京カルチャーカルチャーのサイトにて公開されたロングインタビューはファン必読のテキストだ。

「NEW VOICES」リリース後、「ジャックを頭の中にさして音楽を作ることがベストなのだろうか」という自問が彼の中に生まれる。「頭の中で鳴っている音がそのまま再現されるということはある意味幸せなんですけど、意外性はないんですよね」と。つまりそれは、頭の中の音を具体化するだけの"作業"になってしまうのだという。ときに黒沢健一の天才性を表す際に用いられてきた「自分の脳に直接ジャックをつなぐ」方法論からの脱却は僕にとって衝撃的ですらあった。―――彼は自らの創造の根に疑問を感じたのだろうか?井戸は枯れてしまったのだろうか?表現の苦しさに疲れ果てて後退したのだろうか―――。果たしてそれらの不安は杞憂に過ぎなかった。彼はこれまでの方法論の向こう側に生まれるべき音楽をフォーカスしつつあったのである。次の言葉がそれを証明している。「今回は、プロセスを空白にしておいて、最終的な着地点もちょっと曖昧なくらいが、自分がはらはらして面白いなって思ったんです」。

数年前に亡くなってしまったが、小島信夫という作家の小説作法は「とりあえず書く、たくさん書く」といった特異なものであった。あらかじめ登場人物を決めない、ストーリーも決めない、もちろん結末だってわからない。執筆に際して入念な「準備」を行う作家は多いが、小島信夫はそのような方法をとらなかった。「あらかじめ考えて書けることなんかないんだから」「第1章はコレ、第2章はコレ、という書き方をして君は楽しいか?」といった発言を繰り返し、安全運転に孕む退屈とマンネリを死ぬまで拒絶し続けた人だった。とりあえずペンを動かし、瞬間瞬間を掴まえていけば、やがて人物が自然に動き出し、物語を紡いでいくという。その手法は、プロセスを空白にして最終的な着地点すら曖昧にするという「Focus」のアプローチ方法と、どこか重なる部分があるように思える(書いた文章を一切読み返さなかった小島信夫に対して、黒沢健一は推敲の鬼であるという違いこそあるが)

そういった意味で、「Focus」に至るまでの様々なユニット・バンドでの活動は、創作が"作業"にならないために必要な期間だったのだろう。言い換えれば、「頭の中で鳴っている音」の向こう側へ突き抜ける方法をひたすら模索する時期であった。次々と楽曲を書きながらも、別の現場が見えればそこへ移動し、直感的に「正解」を選んでいくことによって黒沢健一は黒沢健一としての感覚を保ち続けることができたのではないだろうか。

■追憶の7年、そして「Focus」へ

Science Ministryの即興的感覚、curve509のガレージバンド的な衝動、MOTORWORKSのスピード感と重厚感、歌い手としての熟成を示す健'z、ジョン・レノンライブ、各種トリビュート盤への参加、楽曲提供・・・。とりわけ、表現が固まらないようにしてポケットに放り込んでいくScience Ministryでのスリリングな体験は、以降の創作スタンスに大きく作用したように思う。パンフレット「PAPER SLEEVE COLLECTION vol.1」に収録されているインタビューからは、今回のソロ音源制作にあたり他ユニットで吸収した要素のアウトプットを一応試みたことが読み取れる。しかし、いざ楽曲を作りはじめてみると「全然変わらないじゃないか。これほど自分の音楽性は"頑固"だったのか」という感慨を抱く(2008年1月21日オンエア「SURPASS DIRECT WAVE」より)。たしかに僕たちが見ることのできる楽曲の「外側」を眺めれば、「Focus」に貫かれている音楽はこれまでと変わらぬ純然たる"黒沢健一"であり、そこに7年間の曲折を窺い知ることはできない。だが、他ユニットで培われた要素は、創作に対するアプローチ・方法論といった僕たちが見ることのできない楽曲の「内側」に大きな変動をもたらしていたのである。

「寄り道」は戻るところがあるから「寄り道」という。長く有意義な「寄り道」があったからこそ、彼は自らの作品に対してよりいっそう遊撃的で鋭敏なアプローチ(シライシ紗トリの起用もその一例)が可能となり、自己の感情とより深く共鳴するエッセンスを獲得することができた。輪郭のぼやけていた楽曲たちはライブを通じて徐々に明晰になり、フォーカスが合っていったのだという。黙々と信じる道を歩いてきた黒沢健一の内奥には、途上の「近道」や「抜け道」に対する強い忌避感がある。

僕は買いかぶっているのかもしれない。「NEW VOICES」の衝撃と感動があり、その後の長い沈黙に対する憂慮があり、ようやくひとりの天才が離陸させた楽曲たちを前に、少し感傷的になっているのかもしれない。もしそうだとしても、ここまで自分の音楽に自覚的であり続けるミュージシャンがいることは紛れもない事実なのだ。「自分の中から自然に出てきたものを強烈な意志を持って、自然のままでいさせるってことですね」(「DI:GA」2月号)という発言からわかるように、「Focus」は"音楽に導かれる"ことで生まれたあまりにも純粋なマスターピースであり、文句なしの最高傑作である。可能性の極限を追求した楽曲たちは、微妙に交錯しながらひとりの「黒沢健一」に静かに溶け込み、現実を呼吸していく。

01. Grow

ニルソンの「Without You」(原曲:Badfinger)を想起させるイントロに続いて歌い出されるのは、カーペンターズの「青春の輝き」にも似た、美しく、一点の澱みもなく紡がれるメロディーだ。その洗練された旋律は、まるで2009年版「EQUINOX」と言えそうな佇まいすらある。全編を覆う印象的なストリングスは弦の表情も濃密で、楽曲に奥行きを与えているが、ピアノのみで切々と歌い上げられるライブ・バージョンも白眉。元々デモテープの段階ではアバンギャルドなアレンジが施されていたらしい(「cast」vol.39より)。結果的にピアノとストリングスというシンプルなフレームが採用されたのだが、黒沢健一はなぜこのバラードをアルバム冒頭に配したのであろうか。この曲には「はじまり」を連想させる強烈な主題があるからである。彼はオープニングトラックとしての「Grow」について次のように語っている。

「始まりを感じさせる曲って、テンポが早くて、サウンドも詰め込んでというイメージがあるかもしれないんですが、自分の中では成長感であったり、息吹きであったり、生命力であったりするんですよ」(「DI:GA」2月号)

一聴してまず歌詞の変化に驚かされる。これまではどちらかというと抽象的な単語の組み合わせによって、聴き手の「イメージの凝集力」を喚起させる楽曲が多かったように思う。「Focus」にも、例えば「Mute」「September Rain」のように従来の感覚で書かれた詞もあるが、2ndソロ「B」に次ぐ"君"と"僕"という言葉の頻出が今作の世界観の一端を表現している。中島卓偉に提供した「ABSTRACT(完全な相関性)」で、「忠誠 君を締め付ける 体制 僕を駄目にする」「明日は 君に会えるかも 明日には 君はいないかも」という苛烈な言葉で"君"と"僕"の相関性が表現されていた他、昨年のTOUR without electricityにて披露された新曲「方舟」「Rock'n Roll Band」(共にアルバム未収録)からも、SSW的な音楽への傾斜と同時に、強烈な物語性を感じることができた。そして「Focus」の幕開けとなるこの「Grow」では、言葉の世界への一層深い潜入とともに、僕たちは真正面からストーリーに出会うことになる。"僕"から離れていった"君"に思いを馳せるが、その感情は決して後ろ向きではない。"僕"は現状を突き抜ける勇気がないと吐露しながらも、「何かを探すつもり」であることを表明し、「静か過ぎるこの闇の向こう」へ一歩踏み出そうとしている。その先には、歩み出る者、つまり成長を許された者だけが見ることのできる光景がある。冬の記憶と景色が溶け出すシーンは季節感と生命力にあふれ、「動」の息吹きを感じさせる名場面だ。"君"と"僕"との再会の可能性は示唆されないが、最終的に旅立っていく"君"への賛歌となっているのが美しい。旅立ちの言葉はいつだって魅力的なのである。2008年末に開催されたSEAT AND MUSIC 2008で初披露され、その後、FM802で世界初オンエアされた。また、アルバム発売直前にレコチョクで「Mute」と共に着うたフルで先行配信された。

02. Feel it

シンプルで明快なポップチューン。MOTORWORKSでもScience Ministryでもcurve509でもなく、純粋な「黒沢健一」の曲である。このどうしようもなく「黒沢健一」であるという感覚は、うまく言葉にすることができない。Aメロのひねくれたメロディーの昇降、心浮き立つサビの上昇メロディー。そしてワンコーラス終了後、間奏へと突入していく瞬間のカタルシスは、curve509の「DA・DA・DA (yogurt Version)」を想起させる。カラフルな光彩を放ちながら世界が一気に広がっていくような、あの感覚だ。親しみやすくも、バンド編成のライブで聴いてみたいと思わせるパワフルさを秘めた名曲である。アレンジ&プロデュースはシライシ紗トリ。
(シングル「Feel it / POP SONG」レビューより一部再掲)

03. Love Hurts

名曲。本人がすでに「DI:GA」2007年12月号のインタビュー記事で言及しているとおり、メロディーの性格は多分にヨーロッパ(英国)志向であり、ギルバート・オサリバンのような、ときにポール・マッカートニーのような佇まいを見せる。もちろんそこには黒沢健一というキャリアの集積や身体性も反映されていて(TOO LONELY TO SEE!)純然たるオリジナリティーの輝きを見せている。そもそも洋楽的なスタイルをベースとして、そこに時に応じて様々な音楽要素を溶け込ませてゆくのが彼の特長であり、今作もまた「黒沢健一の正攻法」に乗っ取った黒沢健一らしい楽曲と言えるだろう。ロック・クラシックス、または過去の自作曲とある一定の距離を取りつつ、しかしそれら名曲の呼吸を「確実に」現在の息づかいとする。そして断片と断片をつきあわせ、照応させて、そこに断片を超える別の物語を複層的に沸き上がらせる。こんな芸当は彼にしかできない。
(シングル「Scene39 / Love Hurts」レビューより一部再掲)

04. Scene39

イントロのアレンジなどは俗化するぎりぎり手前の危うさを抱えているという気もするが、全体的にはいい意味でルーズというか、リラックスした作風になっていて、肩の力を抜いて気楽に聴ける。しかし何度も繰り返し聴くうちに、そこにも黒沢健一の迷宮が存在していることを知り狼狽してしまう。つまり、ポップスに対峙するとき、またポップスを「実現」しようとしているときの彼の眼差しは(それがたとえ無意識下にあったとしても)意図的であり、方法的であり、野心的なのであろう。黒沢健一の作り出す音楽は、もちろん表現・手法・技術の関係が何重にも畳み込まれたものではあるが、一方ではすでにテクニックからは解放され、自由になっている。そうでなければ迷宮なんて作り得ない。余人との風格の違いを見せつけるそのセンスは高く評価されてしかるべきであると思うが、黒沢健一の才能をもっとも過小評価しているのは黒沢健一本人なのではないか。アレンジ&プロデュースはシライシ紗トリ。
(シングル「Scene39 / Love Hurts」レビューより一部再掲)

05. Maybe

黒沢健一は「Focus」という物語の中で、とにかく雨を降らせる。「POP SONG」では春先の雨、アルバムラストには9月の雨、そしてこの「Maybe」では6月の雨だ。それにしてもなんと優しい歌声だろう。ファルセットに到達するかしないかといった領域で絶妙にコントロールされた歌声は、鈍重な表現を嫌う黒沢健一らしい淡いフィーリングの曲調と完璧に調和している。瞬間的な印象の柔らかさと持続的な逞しさが共存している名曲だが、聴き終えた際に感じるのは、やはり繊細な声の実在である。アレンジ&プロデュースはシライシ紗トリ。先行配信された「Feel it」「Scene39」のアレンジを聴く限りでは、派手な音作りを好むようにも思えたが、この曲のようにソフトな声を包み込むデリケートなアレンジも素晴らしい。KANもお気に入りの一曲。

06. Silencio

湯川潮音に提供した「霧の夜」のセルフカバー。タイトルはスペイン語で「静寂」の意。ソロ活動を再開した2007年末、「Tree of LOVE~Think about AIDS~」というTOKYO FMの企画で、彼は「Sizukesa」というメッセージを記した。「Silencio」という曲を、ひいてはアルバム全体を貫く静的な気分はこのとき先取りされていたのかもしれない。その「気分」に堆積していった記憶や表情がさりげなくストイックに秘められているが、表面の穏やかさの背後に隠されている、ある激烈な情感を感じずにはいられない名曲。ジョージ・ハリスン「My Sweet Load」のようなギターストロークが印象的なイントロから、Aメロのサイモン&ガーファンクル式コーラスの応酬になだれ込むが、そのあまりにも美しいコーラスの奔流にはめまいを覚えるほど。深沈としたマイナーコードの狭間で独特の陰影を見せるボーカルが際立っている。メロディーの影に隠れてしまいがちだが、ハイハットとシンバルを効果的に使ったドラムの巧みさが、楽曲の世界観をより強固なものにしている。ライブ・バージョンも掛け値なしの素晴らしさで、五感をフル活用することにより、観客にその世界の広がりを感じさせようと試みる演出がなされた。

07. POP SONG (al ver.)

派手さこそないが、とにかく黒沢健一純正のしなやかなメロディーが素晴らしい。イントロのフレージングには、桑田佳祐「祭りのあと」、Marshall Crenshaw「Distance Between」、L⇔R「COWLICK」、浜田省吾「AMERICA」あたりのニュアンスを感じさせる。必要以上に大仰でドラマティックな展開を演出するわけでもなく、メロディーの輪郭からじわじわとにじみ出てくる哀感こそが彼の真骨頂。緩急や強弱も自在のまろやかなボーカルは、より一層表現力を増しており、まさに黒沢健一が現在進行形のボーカリストであることを強く実感する。 シングル・バージョン、ライブ・バージョンに続く3つめのバージョンとなる今回のアルバム・バージョンは、現行バンドで新録されたもの。シングル・バージョンと比べると、まずAメロが圧倒的に生々しくなっており、木下裕晴の「歌う」ベースが否応なしにグルーヴを主張する。さらにドラムも前面に押し出され、バードマニア的な意匠が凝らされたギターフレージングはそのままに、よりシャープになったアンサンブルが光る。

それにしても「POP SONG」はなにゆえ「POP SONG」なのか。曲中、「POP SONG」というキーワードは一度も使われていない。なぜ彼はこの曲に「POP SONG」というタイトルをつけたのだろう。鼻歌や、ふと口ずさんでしまうことを理想とするポップソングへの憧憬なのか。「限りなく今を乗せ」ながら、「君の心の隙間にいつも光を届け」ること。そして「君が顔を上げるまで」歌い続けていくこと。それらの意味性によって規定されるのがポップソングなのであるならば、ポップソングを作ること、ミュージシャンとして生きていくことの業を僕たちは知る必要がある。L⇔Rの名曲「GAME」にはポップミュージックの<陰性>が投影されていたが、「POP SONG」からは信じ続けることで生まれる<陽性>が感じられる。しかしながら、黒沢健一の内側では陽も陰もそれぞれが強く打ち消しあうことはない。それが彼の実践する文字通りのポップソングなのだ。
(シングル「Feel it / POP SONG」レビューより一部再掲・追記)

08. Mute

名曲。構成は「A-A-B-B-C-A-間奏-C-A-A」で正しいのだろうか。僕にはよくわからない。ザクザク刻まれるギターリフにXTC「Ball And Chain」との類似性を見出だすのならば、そのカッティングはまさにアンディ・パートリッジのそれである。イマジネティブな歌詞、単線的な捉え方では理解できないユニークなコード進行、完璧に統制されたコーラス、この屈折感・ひねくれ感。これぞ黒沢健一の独壇場である。楽曲の地下には英国ポップの水脈が縦横に走っている。それにしても、サビに入る瞬間の、求心力と遠心力の調和が崩れて円が拡散していくような、あの奇妙な感覚はクセになる。流れは一瞬停滞し、メロディーはリスナーに抵抗する。リスナーを甘えさせない。極めて中毒性の高いポップソングだ。つんく♂は「Grow」「Feel it」と共に、この曲をフェイバリットに挙げている。アルバム発売を前にレコチョクで「Grow」と共に先行配信された。

09. Do we do

アレンジ&プロデュースはシライシ紗トリ。シライシがプロデュースした藤木直人版「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」を一瞬思い出させるイントロから、怒濤のAメロへなだれ込む。ファンクの粘っこさと踏み込みの強さを強調しすぎることなく、多彩な曲想をスムーズに聴かせる軽快なウネリが持ち味の名曲。全編ほぼファルセットで歌われる歌メロがビートに絡みつき、涼しげなボーカルでありながらどこかセクシュアルな、肉感的な響きが生まれている。ライブではストレートにバンド色を押し出したバージョンへと変貌。

10. Somewhere I can go

おそらく今後もアンセムソングとして歌い継がれていくであろう名曲。1stソロシングル「WONDERING」や、chiakiに提供した「カナリア」のような雄大さを感じさせる王道バラードであり、ここで表現されている音宇宙のほとんどが普遍性に貫かれている。天から降り注ぐかのような楽器の響き、そして声の揺れが持つ艶が見事に浮かび上がってくる叙情的なボーカル。黒沢健一は楽曲の主人公を特定することはしないが、この曲はやはり黒沢健一本人の「私」を歌っていると考えていいのではないだろうか。過去、現在、未来、様々な黒沢健一が並列して心の中に降りてくる。しかしそこに人生論的な重苦しさはない。「さあ、見つけ出すのさ」と呟く主人公の姿は、「Grow」の世界とクロスオーバーしているようにも思える。この後に続く「September Rain」はアウトロまたはボーナス・トラック的な位置づけであり、アルバムの実質的なラスト曲は、悠然とした余情を残すこの「Somewhere I can go」と考えていいだろう。

11. September Rain

ごく有態に言ってしまえば、感想なんてものは出てこない。考えようとすればするほど楽曲のきらめきは霞んでしまい、意識は楽曲の内側に吸い込まれて霧散してしまう。自由闊達なメロディーは、ある一点へ着地することを拒み、重厚なコーラスの狭間でもつれあい、いつしか静寂へと反転していく。この陶然たる世界は、声の緊迫、言葉の無垢と表裏一体をなす黒沢健一の音楽様式にほかならず、いまや彼にしか許されない語法ではないだろうか。それは例えば、「Pet Sounds」~「SMiLE」~「Friends」期のThe Beach Boysに認められる陰と陽が入り乱れた物憂げで乱調な音世界に近い手触りであり、初期L⇔Rが獲得した初出の手触りである。そしてこのわずか2分弱の世界が、思考することを放棄した僕の心に喚起させたのは、癒しでもなければ浄化でもなく、不穏な胸のざわめきと非日常の余韻であった。
「September Rain」レビューより一部再掲)


REVIEW::黒沢健一 | Focus

Focus -LIMITED EDITION-

Focus -LIMITED EDITION-4th Album (Limited) / 2009.6.30 / rpm-0015

rpm shopsのみで販売された受注生産限定の「Focus」デラックス盤。税込価格9,500円。予想を遥かに超える大充実の内容。永久保存版。封入物は以下のとおり。

フォーカスかわら版(BONUS LEAFLET)

・LIMITED EDITION -こんな使い方- (黒沢健一)
・Dr.クロサワの怪しいヴォーカル講座 -歌おう!Focus!- (講師:Dr.クロサワ)
・[大雑把に密着] Dr.クロサワができるまで
・フォーカス川柳コンテスト最優秀作品発表!!
・よりぬきフォーカス川柳

POPの笑点と銘打ったおまけリーフレット。「LIMITED EDITION -こんな使い方-」では、今回のセット内容の概要と楽しみ方を黒沢健一本人が軽妙に解説しているのだが、真空管について語る項目のテンションの高さは異様。「ヴォーカル講座」は具体的かつ実践的。

ポストカード(2種)

・緑 ⇒ こちらに向けてカメラ(PENTAX Z-20)を構える黒沢健一。シャッター羽根にはFocusロゴ
・青 ⇒ 横顔の黒沢健一

LIVE TOUR 2009 "Focus" バックステージパス

ステッカー仕様。

しおり+Growの種

Growの種は“Heavenly Blue”という品種の西洋朝顔。種まき期は6月下旬~7月上旬、花期は8月~11月とのこと。台紙はミシン目から切り取って、しおりとして使用可能。しおり裏面には黒沢健一本人による「Growの種の育て方」が記載されており、花が咲いたら川柳を詠むことが推奨されている。

スペシャルブックレット

・このセットを手にしたあなたへ(黒沢健一)
・Focus Recording Note
・Focus memo(黒沢健一)
・“春の訪れ”と奇跡の「白い壁」~『Focus』のアートワークについて~(下山ワタル
・Message for Focus
・Focusツアー各会場セットリスト&ステージ写真
・Growの種について(黒沢健一)
・未公開フォト多数

「Focus Recording Note」は、名盤「Focus」が完成へと至る工程がより具体的に理解できる一級資料である。「Focus memo」は、公式サイトの feature から「Focus」制作に関連したエントリを再編集したもので、未発表エントリも含む。「Message for Focus」は、公式サイトの「ミュージシャンの皆様からのコメント」と同内容。ブックレット全編に掲載された写真は、見覚えのあるものから貴重なものまで見応えあるボリュームで飽きさせない。Neowingの特典ポスターになった首すじ写真も収録。

CD「Focus」

2009年3月4日に発売された「Focus」と収録内容は同じ。ただし、通常のプラケースではなく、専用トールケースにCDとDVDが半分ずつ重なるように収納されている(Mr.Children「箒星」やthe brilliant green「complete single collection '97-'08」と同じ仕様)。ライナーノーツは別途封入。

CD「Focus -Instrumental- ~Let's sing 1, 2, 3! Focus~」

いわゆるカラオケCD。レコーディングの歌入れで実際に使用していたオケそのままなので、ガイドメロディー等は一切無し。演奏の細部やコーラスパートを聴き込むマニアックな用途には最適である。収録曲は以下の4曲。

1. Grow
2. POP SONG
3. Mute
4. Somewhere I can go

DVD「Visual Focus」

LIMITED EDITIONの目玉コンテンツ。「Grow」「September Rain」のPV、公式サイト&MySpaceにて公開された「Focus」ダイジェストムービー、スペシャルブックレットに収録された下山ワタル氏の文章と併せて楽しみたいフォトセッション、恵比寿~心斎橋のツアー行脚ダイジェスト(楽屋で「I LOVE TO JAM」をアテフリする黒沢健一の神々しい姿も)。そして、もちろんメインコンテンツは2009年3月31日の渋谷CLUB QUATTRO公演の模様である。

01. -LIVE Document 1-
02. Scene39
03. Grow
04. TOO LONELY TO SEE
05. ALL I WANT IS YOU
06. プラスティック・ソング
07. Do we do
08. Somewhere I can go
09. I LOVE TO JAM
10. -LIVE Document 2-

「LIVE Document 1」には、会場入りから物販ポスターへのサイン入れ(激レア書き損じver.)、入念なリハーサルの様子、緊張が伝わる開演直前の様子(黒沢の肩を揉む木下の頼もしさ!)など、貴重なオフショットが満載。「LIVE Document 2」には、終演直後の楽屋の様子、さらにカーテンコールでステージへと向かう黒沢健一の姿、ロビーに掲示されたポスターに書き込まれたファンのメッセージを真剣な眼差しで見つめる姿(僕はここで泣きそうになった)など。本編のライブパートも文句なしの素晴らしさである。ツアーに参加したファンの「記念品」に留めるだけではあまりにももったいない。ライブを観られなかった人、LIMITED EDITIONを購入できなかった人にこそ観てもらいたいと思う。願わくばDVDの単品販売を。


REVIEW::黒沢健一 | Focus