:: びっくり日記

アイデンティティー・クライシス

2006.11.24

閲覧者から何らかのレスポンスを求める心理形態は、長くサイト運営をしていく上ではあまり好ましくないと思う。反応の有る無しでいちいちモチベーションが左右されていては、いずれ必ず疲労する。しかし閉鎖を臭わせて読者からのレスポンスを求める行為は、訪問者へ不要な気を使わせるばかりで、なんら恒久的な解決にはならない。とにかくあれこれ些末なことを「気にしない」ことが大切なのかもしれない。それが可能ならば。

「ファンサイト」というものはもうそれほど必要ないのかな、と最近は思う。今は誰でも簡単に自分のブログが作れる時代であり、黒沢健一ファンが開設しているブログもたくさん存在している。管理人さんたちは皆それぞれに自分の想いを語り、情報を掲載し、熱心に応援している。新規ファンの獲得、休眠ファンの掘り起こしに一定の成果を残したMOTORWORKSの登場以降、ブログブームという要素も重なったことで、その数は劇的に増えているように感じる。

特定のサイトではなくファンサイトという存在全般に言えることだが、ファンサイトに対する帰属意識のようなものは、もうとっくの昔になくなっている。管理人と積極的にコミットすること(例えばメールやBBSへの書き込み等)も、ささやかな喜びをお互いに享受しあえる空気も、以前より明らかに減衰している。警戒心が先立っているのか、リードオンリーの美学なのか、サイト訪問が単なる情報収集でしかないのか。

結局のところファンサイトなんて管理人個人の道楽の延長であって、もちろん誰かがいつどこでどのように閲覧しようが、どのように利用しようが全く構わない。しかし、例えばファンサイトのBBSで情報を共有するという行為に、今どれだけの価値を見出すことができるだろう。誰もが自分のブログで情報を掲載し、それについて思うことがあれば、やはりブログというテリトリーのなかで意志表示して消化、完結させてしまう。たとえ自分だけのパーソナルな領域がないとしても、いまは「mixi」という語り場もある。2ちゃんねるがその匿名性ゆえに有意義な情報交換の場となりうるケースもあるだろう(その逆もしかり)。情報の入手・提供・共有という面に価値を置きつつファンサイトを成立させることは、かなり難儀な時代になっているんじゃないだろうか。

思いつきから「黒沢健一をこっそり応援するサイト」という縛りをつけてしまったことで、自らの首を絞めてしまったんじゃないかと、僕は最近考えることが多くなってきた。それは熱心な黒沢健一ファンが楽しめる有意義なコンテンツを提供できないという、自分の圧倒的な力量不足に対するジレンマと、モチベーションの低下へ繋がっている。TOPページに「ようこそ、ひろりんのホームページへ!」なんて、気絶するほど悩ましいgif画像がクルクル回転している、そんなパーソナルスペースのままでいたほうが居心地は良かったのかもしれない。

そもそもびっくり電話の動的コンテンツが日記だけという現状では、サイト全体をブログに移行したところで全く問題はないだろう(実際、TOPページのアクセス数はびっくり日記の1/3程度しかない)。しかし、バージョン違い検証や健'zセットリスト等のコンテンツを破棄することはできない。かといってブログというフォーマットをデータベース的に利用するスキルは自分にはないし、FTPで直接ファイルを上げ下げしているほうが不思議と安心感があったりする。びっくり電話は自己満足に徹したすこぶる出来の悪いサイトかもしれないけれど、自らの慢心を戒めつつ、適度に距離を置きながら付き合っていくことが最良なのだと思う。


■ 遠くへ行きたい/新沼謙治



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