:: びっくり日記

百年「と」女たち

2007.12.26

百年「と」女たち百年茶(笑)

吉祥寺の古書店・百年にて曽我部恵一×桜井鈴茂トークイベント。

かつて愛した女たち、いま愛している女たち、これから愛する女たちへ。

曽我部恵一ランデヴーバンド『おはよう』は「女たち」というタイトルではじまる。
すべての「女たち」の歌だ。
桜井鈴茂はFOILのWEBで『女たち』という短編を連載している。
全部で12人の「女たち」の物語だ。
二人は『女たち』を同時期に作った。
それは偶然なのだろうか?
そこにどんな「気分」があったのだろうか?
そして、「女たち」を通して何を語ろうとしているのだろうか?
それぞれの「女たち」。


以前、小島信夫「美濃」を購入して夢見心地だったときに予約したイベント。
(いま思えばよく冷静に予約できたものだなぁと思う。それくらい「美濃」を手に入れて興奮していた)
あっというまに定員になってしまって予約終了してしまったらしいです。
というわけで、店内は立ち見のお客さんまで出るほどの超満員。
僕たちは前から2列目という不気味なほどの至近距離にて参加させていただきました。

女たち、というフィールドを飛び越えた部分のトーク、
ミュージシャン×小説家という表現者としてどうあるべきかについての言及が興味深かったです。
気の向くままごく自然体に音楽を作り続けているという曽我部恵一のパブリックイメージは、
ある一面では正しいのだけど、実は表現者としてのしたたかな部分も強いのだなと感じました。
商業者として、ではなく、表現者として「リスナーをコントロール」する野心は絶対に必要だと僕も思う。

例えばライブ中、何かが取り憑いたとしか思えないほどの忘我の境地に入ったとしても、
頭のどこかではものすごく冷静な自分がいるのだという。常に自分の有様を俯瞰している、と。
だけど、それらをあまり受け手に感じさせないのが曽我部さんのすごいところなんだけどね。

質と量。簡単には両立できないであろうそれらふたつの道を涼しい顔で歩いている、
曽我部恵一というミュージシャンが僕たちと同時代にいることの喜びと驚きを考えるとき、
そのあまりに巨大な存在感のリアリティの前に打ち震えてしまう。

20時から始まって2時間以上の濃密な時間は、曽我部さんの弾き語りで終了。
「女たち」と、サニーデイ・サービスの「24時のブルース」をギター1本で披露してくれました。
22時過ぎに聴いた「24時のブルース」の途方もなくメロウな響き!


当日の模様(写真あり)


■ 女たち/曽我部恵一


> 私もSHIBUYA DUOのライブ、参加しました。鳥肌モンでしたね。
> 久しぶりの"生黒沢"はすごかった!!
> そして、1曲目のSOCIETY'S LOVEを聞いたとき、L⇔Rをソロで歌う黒沢健一を見たときに、
> 「休止から時間がたくさん流れたんだなぁ」って思いましたよ。
> そりゃ、私も年齢言いたくない歳になっちゃったもんなぁ。


DUO参加おつかれさまでした。全力投球できましたか?
そうですよね、黒沢はやっぱり生が一番ですよね。グビグビっと(違)
相変わらず「SOCIETY'S LOVE」はイントロ聴いても何の曲だかわかりません(笑)
L⇔Rを演奏することについてのある種の頑迷さのようなものは、もう消えたのだと思います。
時間も経ちましたし。キャリア全体の中から一番ベストな「いま」を切り取っているのでしょう。

> sproutです。ダブルヘッダー&レポ、おつかれさまでした。
> レポは行ってない人にとっても大事ですが、行った人間にとっても宝ですね!
> ひろニクルさんのレポで忘れてた事をいっぱい思い出しました。
> あのキュートな「ウン」と拗ね拗ね曲紹介を忘れていただなんて~!
> 貴重なメモリを修復して下さり、ありがとうございました。
>
> 自分でもいくつか書いてみて思ったけど、先生のレポは特に難しいです。
> 語彙を超えた世界、まさに「虚空」にすっ飛ばされますからね。
> 難儀な人に惚れてしまいました(笑)。勢い余って発熱中です。


sproutさんもおつかれさまでした。そして素晴らしいレポをありがとうございます。
僕のレポはsproutさんのそれと違って、内容ペラペラでお恥ずかしい限りです。
記憶とメモだけが頼りで、視覚の助けも聴覚の助けも借りられないので、
三次元の風景を文字に押し込めるという作業は本当に難しいですよね。特に先生のレポは(笑)
健一熱なのか本当の風邪熱なのか判断が難しいところですが、どうぞお大事にして下さいね。



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音楽::曽我部恵一